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2011.07.24

中村とうようさんの死

タラフ・ドゥ・ハイドゥークス
 タラフ・ドゥ・ハイドゥークスのアルバムのジャケット。
 左が2001年のアルバム"バンド・オブ・ジプシーズ"

久しぶりにルーマニアのタラフ・ドゥ・ハイドゥークスやブルガリアのコーラスを聞き返したくなって彼らのアルバムや「ブルガリアン・ヴォイス」や「ブルガリアン・ポリフォニー 」のCDを引っ張り出してみました。
長い間聞いていなかったので、ついでにそれらのCDを紹介されている「ミュージック・マガジン」も引っ張り出してアルバム評を読み返したりしました。

たとえば、タラフ・ドゥ・ハイドゥークスの「バンド・オブ・ジプシーズ 」というアルバム評では、中村とうようさんは下記のように厳しく書いています。

強引なハッタリだけが取り柄のジプシー楽団。スピード感もヴァイオリンでギシギシ雑音を鳴らすのなども何度も聞けば鼻につくだけだから、この連中のアルバムは1枚あれば充分だ。(6点)
(「ミュージック・マガジン」2001年8月号)

私は彼らのアルバムを2枚持っているんだがなあ・・・。(^_^;)
それに「ハッタリ」だけのバンドだったら、今さら聞き返したいとは思わないけどと、変わらぬ辛口の評には私は賛同できませんでした。

そんなことがあった次の日に、中村とうようさんの自死のニュースを聞き、びっくりしました。
報道によると、自宅マンションから飛び降りたらしい。なんともとうようさんらしくない死に方だと思いました。

雑誌「ミュージック・マガジン」、「レコード・コレクターズ」「ノイズ」をはじめ、LP時代からいろいろなレコードやCDで彼の書く文章を読んできました。
また、各種の著作やラジオのDJをやったり、レコード・CDの発売もやったり、コンサートの主催もしたりしていたし、時には政治的な発言も行い、かなり行動的な人だと思っていました。
そういうバイタリティがないと、風に吹かれたらどこかに飛んでいってしまいそうだった「(ニュー・)ミュージック・マガジン」をここまでメジャーにはできなかったと思います。

ミュージック・マガジン2011年8月号
 ミュージック・マガジン2011年8月号

「ミュージック・マガジン」では毎月「とうようズ・トーク」というページがあり、社会のさまざまなことについて中村とうようさんの感想、考えを披露していました。
最新号(2011年8月号)では、「君が代」をめぐる憲法裁判のことに触れた文では、
一部の国家主義者の「君が代」フェティシズムは、どうにも気持ち悪すぎる。
というフレーズがあり、そういえば、我が町の新市長も「君が代フェチ」だな、と思ったりしました。 原発事故をめぐる対応でモタモタしている今の状況に対して中村とうようさんならどう感じていたのか、そんなことをもっと発信して欲しかったと思っています。

大衆音楽の真実
 大衆音楽の真実

中村とうようさんの本も何冊か持っていますが、一番印象に残っているのが「大衆音楽の真実 (Compact books) 」(1986年)。
英米圏以外のポピュラー音楽を俯瞰したものとして、非常に刺激的でした。
この本を読んでから、私の音楽世界は、世界中に広がり、音楽観も変わりました。

プエルト・リコ音楽入門
 プエルト・リコ音楽入門。CD付きの本と言ったほうが正しいと思う。
 でも本屋ではなく、レコード店で買いました。

「オーディブック」として、CDと詳しい解説のついた本も10種類以上発行していました。
ここにはそのうちの一つ「プエルト・リコ音楽入門」の写真を載せましたが、この本のおかげでプエルト・リコのラファエル・エルナンデスコルティーホなどを知り、キューバの音楽より私には親しみやすいと思えたことを思い出します。

ブラック・ミュージックの伝統〜ジャズ、ジャイヴ&ジャンプ篇
 ブラック・ミュージックの伝統〜ジャズ、ジャイヴ&ジャンプ篇

中村とうようさんは、積極的にレコード会社に企画を持ち込み、実現させたのもよくあり、そのうち「ブラック・ミュージックの伝統」(2種)が私はLP時代から好きでした。
「ジャンプ」や「ジャイヴ」というブラック・ミュージックのことを初めて知ったのがこのアルバムでした。
そのLPが拡張されてCD化されたのがここにあげたジャケットです。

MCAブルースの古典
 MCAブルースの古典

ブルースでは、「RCAブルースの古典 」という戦前ブルースの編集盤が有名でCDにもなっていますが、私はここにあげたLP3枚組の「MCAブルースの古典」(1984年発売)が好きで、こちらはCDにはなっていないので、CD化を熱望しておきます。

ラジオでは1980年代後半に神戸の「ラジオ関西」で「つかしんワールド・ネットワーク」という番組でとうようさんがDJをしていたのを思い出します。
金曜日の夜12時からの1時間番組で、その番組に私はよくリクエスト葉書を出しました。放送でも何度かリクエストにこたえてもらいました。 今もその時に録音したカセットテープが何本か残っています。

キング・サニー・アデ
 キング・サニー・アデのコンサートで買ったプログラム

実際に中村とうようさんの顔を見たことが一度だけあります。
1984年10月22日、大阪フェスティバルホールでナイジェリアのキング・サニー・アデ のコンサートを見に行ったのですが、そのときフェスティバルホールへ行くエスカレーターで、私のちょっと前に乗っていました。小柄な人という印象を受けたのを覚えています。

いろいろと中村とうようさんには間接的に音楽の楽しみ方を教えてもらったような気がします。
あの世へ行くには早すぎる、まだまだ、いろいろな切り口で世界中の音楽を紹介してもらいたかったと思っています。
自死という死に方、ミュージック・マガジン風に点数を付けるならマイナス10点です。

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