書籍・雑誌

2008.08.17

村上春樹「走ることについて語るときに僕の語ること」


「走ることについて語るときに僕の語ること」

 最近、一気に読んだのがこの本です。

 作家、村上春樹がフルマラソンやトライアスロンのレースに参加しているということを、この本の書評で初めて知りました。
しかも、中途半端ではありません。 フルマラソンには20数回、トライアスロンも数回のレースを経験しているのですから、本格派です。

 その村上春樹が、2005年〜2006年にかけて、「走ること」について書いた文章を集めたのがこの本です。

 私も、村上春樹の足元にもおよびませんが、ランニングを続けているので、この本を読みながら、「そうだそうだ」とか「なるほどなあ」とか、ランニングの練習やレースでの気持ち、心のゆれなど書かれていることに共鳴したり、うなずいたりしました。
 作家という職業を持つ村上春樹にとっては、ランニングは長編小説を書くための体力を維持するのに必要な訓練だということも書かれていますが、なるほどと思いました。
長編小説を書くためには、長期に渡ってテンションを上げておく必要があり、そのための体力・気力がランニングをすることで培うのです。

  7月の終わり頃だったと思いますが、NHKで「サロマ湖100キロウルトラマラソン」に参加し、完走したご夫婦(50〜60才台)のドキュメンタリーを見ましたが、この本でも村上春樹がこのレースに1996年に参加したときにことが書かれています。
 フルマラソンの42kmを過ぎ、75kmを走っているあたりで、「何かがすうっと抜けた」と書かれています。
この「抜ける」という感覚について、

「まるで石壁を通り抜けるみたいに、あっちの方に身体が通過してしまった」

と表現しています。
この部分に、私は得体のしれない迫力というものを感じました。

 また、この本は、走ることだけではなく、村上春樹が作家として出発する前のころのことも書かれていて、そちらも興味深く読めました。
20代のころからジャズ・クラブのような店を経営して、無我夢中で働いていたことなど、客商売の大変さについて書かれていたりします。

店にはたくさんの客がやってくる。
その十人に一人が「なかなか良い店だな。気に入った。またこよう」と思ってくれればそれでいい。
十人のうちの一人がリピーターになってくれれば経営は成り立っていく。
逆に言えば、十人のうち九人に気に入ってもらえなくても、べつにかまわないわけだ。
(略)。
しかしその「一人」には確実に、とことん気に入ってもらう必要がある。

これが、彼の経営の方針だったようですが、この方針については、以下のブログで語られています。
私もサービス業ですから、同感といったところです。

● ほっと花屋「フィールド」のあれこれ

● af_blog

ほかにも、村上春樹の作家としての勉強法が、私が学習をするヒントになったりもしました。

 いずれにせよ、この本はどこからでも読めるし、繰り返して読みたくなる本だと思いました。
私は、この本を図書館で借りて読んだのですが、手元にいつも置いておきたい気分になりました。(古本屋で探そうと思っています)

 ランニングについては、毎日ほぼ10kmを走り続けている作家にはかないませんが、私もできるだけ走り続けていきたいと思っています。
この本を読むと、ランニング(ジョギング)がしたくなりますよ。

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2008.02.06

「グーグル化」知的生産革命

週刊ダイヤモンド

新聞広告で見て、面白そうだと思ったので買ったのがこの 週刊ダイヤモンド 2008年2月9日号

勝間和代という人の名前も新聞広告を見るまで知りませんでした。彼女の著書のうち「お金は銀行に預けるな」(光文社新書)は、本屋で見た記憶がありますが、手にしたことはありません。

「いまや時代の寵児」という勝間和代という人の言う「グーグル化」とは何だろう、というのが興味を持ったきっかけでした。
グーグルといえば、私も検索エンジンはグーグルを使っていますし(Yahooはめったに使いません)、グーグルノートブックは、一日に何度も開きます。
その意味で、私も少しですが「グーグル化」していますが、勝間和代さんに比べれば全然たいしたことはありません。(^_^;)

知的生産の方法については、昔からいろいろな方法が紹介されていますが、この勝間式も、またそのうちの一つということで、気に入ったところだけマネさせてもらおうと思います。
まずは、Gmailを使うことからかな・・・・?
いろいろなヒントがここに載っているような気がしました。

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2006.10.05

「少し変わった子あります」

少し変わった子あります

なんとも不思議な気分で、最後の文を読み終えました。

目次は以下のようです。

  1. 少し変わった子あります
  2. もう少し変わった子あります
  3. ほんの少し変わった子あります
  4. また少し変わった子あります
  5. さらに少し変わった子あります
  6. ただ少し変わった子あります
  7. あと少し変わった子あります
  8. 少し変わった子終わりました

以上8話の物語は、もともと「別冊文藝春秋」に連載されていたもののようです。その8連作がかたまりとなって一つの不思議な物語が作り上げられています。

この小説を読もうと思ったきっかけは、週刊現代の書評欄を読んだことでした。
そこには、大人のための童話と見出しが付いていました。

著者の森博嗣というのはどんな人なのだろうと、Wikipediaで調べてみました。

1957年生まれ。元名古屋大学助教授。工学博士。小説家。推理作家。すごい経歴です。


この物語の主人公は、50歳代の大学の教員。男性。
「変わった子」は、20歳代〜30歳代の女性。独身もいれば既婚者もいます。1話にひとりずつ登場します。


主人公は「変わった子」と料理屋で2人きりで食事をします。

昨日見た夢の話をする子や最後までウソを付きまくる子、哲学的な話をする子、ずっと無言の子、食事をする振る舞いに見とれてしまう子など8人の「変わった子」と食事をする中で主人公が、孤独や人の生きざまに思いをめぐらし自分を見つめ直す、という話です。

若い女性と個室で2人きりの食事、というシチュエーチョンで下世話なことを想像しても、そんな場面は出てきません。一度、ちょっとだけ手が触れるという場面があるだけです。
2人で食事をするのですが、実際にどんな料理がテーブルに並んでいるのかという描写はありません。それでも物語を読むのに飽きることはありません。


この料理屋には名前がありません。しかも、場所はそのつど変わります。
潰れた料亭だったり、旧家だったり、廃校になった学校の和室だったり、マンションの一室だったり、ビルの地下室だったり。

この店を利用するには、女将(30歳代)に電話します。すると迎えの車がやってきて、その日の場所に連れていってくれます。
そして料理屋でストック(英題が "Eccentric persons are in stock")してある「変わった子」のうちの一人といっしょに食事をする、というわけです。「変わった子」は、食事が済むとスッといなくなります。

もちろん食事代は二人分を払います。そして今夜の「変わった子」とはもう二度と会うことはありません。「指名」はできません。常に初対面なのです。
そんなお店の女将は、なんの特徴もない顔で本人に会わなければ、ふだんは思い出せないという、いわば黒子のような存在です。

主人公がこの店のことを知ったのは、後輩からで、その後輩がいつのころからか行方不明となり、何か手がかりがつかめるかと、その後輩に聞いていた番号を電話してからですが、いつのころからか後輩の消息よりも奇妙な料理屋そのものに魅かれて、何度も足を運びます。

そして、最後の8話目では・・・・。
(この「仕掛け」を書くということは、推理小説の犯人を書くようなものなので、書きません。)




この小説は、「純文学」?それとも「仕掛け」があるから「ミステリー」?

いや、ここは週刊現代の書評の文がやはり一番ぴったりしているようです。

幻想的で、しかし現実的でもある "大人のための童話" ---- なんだか矛盾しているみたいだが、そんなふうに評してみるほかない。

(ミステリー評論家/佳多山大地)

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2006.08.15

「持ち歩きペラペラ和歌山弁」








一か月ほど前にCDショップのレジ横で見かけて、即購入したのがこの本。翌日以降、うちの職場で大受けです。

古家学のラップにありますが、「ざぶとん」を「だぶとん」と言ったり、「冷蔵庫」を「れいどうこ」と発音する和歌山弁って変だけど、面白いなあと和歌山に3年前に引っ越してきた私は思っていました。

私は日常的に和歌山の高齢者と接する仕事をしていますが、最初の頃は、何?何?と疑問符が頭の中でいくつも点くような単語、言い回しが出てきて驚きの連続でした。
それでも、子どもが言葉を覚えていくのと同じように、なんとなく意味がわかるようになってきましたが、中にはこの本を読むまで、違う意味で理解していた言葉もありました。

例えば、「すいな」という和歌山弁ですが、私は「粋な」というどっちかというとプラスのイメージでとらえていましたが、実際は「変わった」というマイナスのイメージの言葉であるということも、この本をネタに和歌山生まれの人たちと話していて知りました。

ほかにも「ビーチサンダル」のことを和歌山では「水せった」と言うそうで、これも初めて知りましたが、逆に和歌山生まれの人たちは、日本中で「水せった」と言っていると思ってたみたいです。そんな、逆の発見もあるので、大受けなんです。

イラストのページが多いので、そこだけを見ていても楽しい。
余談ですが、私はこのイラストをTシャツにアイロンプリントして、この夏は着ています。(^_^;)
使用例がたくさん載っていて、ひとつひとつに感心しています。

この本の中味をスキャンしたものを見ていただければわかるように、著者のイラスト(漫画)が結構入っていて、和歌山弁で楽しく遊べます。

この本の出版社のサイトによると同じシリーズで大阪弁のものも出ているようなので、買ってみようと思っています。

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2006.03.14

最近読んだ数学の本2冊

一年のうちに、たまらなく数学の本が読みたくなる時期があります。
それで、一気に読んだのが下記の2冊。

いずれも啓蒙書で、数式はともかく、面倒な証明がそんなに出てこないので、寝る前のベッドの中で気楽に読めました。

数学の隠された能力

ひとことで言うと、幾何学の歴史書のようなものです。そこに西洋の美術史もからんできます。

美術的な美、そして20世紀以降の大量複製時代のデザインの奥にある幾何学の理論をわかりやすく、大量の図版もまじえて説いています。
著者は、武蔵野美大の講師ということですから、ひょっとして美大の教科書として使われているのかも、と思うくらい歴史的・系統的に幾何学と美術のかかわりがまとめられています。

黄金律についてふれられている部分を読んでいたときに、2次方程式の解の公式を忘れてしまっていた自分に気がつき、なさけなく思ったりもしました。(^_^;)

不満といえば、RGBとCMYKなど、現在パソコンで「色」を扱うのに必要な部分の説明がちょっとはしょっているような気がする点です。
そこいらはパソコンの本を読め、ということなのでしょうが。

プログラマの数学

「プログラマ」とタイトルは付いていますが、プログラムについてはほとんど出てこず、整数論に関する一般的な啓蒙書です。

「ゼロの発見」から整数、有理数、無理数の話。またベン図を使った論理式など、高校や大学の1年ぐらいに習った数学の内容を、プログラマの視点から易しく解説してあります。

いわば、高い山を一歩一歩自分の足で登るのではなく、ヘリコプターで山頂に着いて見る景色のような感じです。
そのこころは、途中で道に迷ったり、引き返したりせずに、見たいものがみれるということ、かな。

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2005.11.11

「国語教科書の思想」

国語教科書の思想

私は教育関係者でもなければ、子を持つ親でもないのですが、たまたま本屋で見かけたこの本が面白く、一気に読んでしまいました。
なかなか、刺激的な内容で、自分が子どものころに習った「国語」という科目のことなんかも思い出しながら読みました。

私は学校のころは、国語という教科が好きではありませんでした。なぜ好きでなかったのかをこの本で教えられたような気分です。すなわち、「国語は道徳だ」からです。
教科としての国語における正解とは、実は道徳的に正しいかどうかだ、というのが著者の主張で、なるほどそういわれればそうだったなあ、と思ったりしました。

それ以外にも、あまりにも配慮や想像力に欠ける設問などの具体例が述べられたりしています。
そして「自然に帰ろう」「友情」「豊かさ」などのテーマに隠されている道徳的な押し付けを批判するところは、読んでいてまるで謎解きのように爽快な気分にさせてくれます。

著者は、批判だけではなく、「国語」という教科を「リテラシー」と「文学」の2つに再編成すべきだと主張しています。
「リテラシー」というのは、例えば電気製品の取り扱い説明書を正しく読み取ったり、情報を得たりすることができる能力を養うもので、「文学」は自由に題材を読ませることで、自分の「読み」をきちんと記述できるような能力を育てるもの、というふうに分けています。だから「リテラシー」では正解と間違いがはっきりし、逆に「文学」では正解が複数存在するということになります。
こういう考え方は私も賛成します。

約200ページぐらいの本なので、はしょってあるところもあるので、わかりにくいところもあるのですが、機会があったら小・中学校の教科書に一度目を通してみたいものだと思ったりしました。(^_^;)

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2004.12.01

野ブタ。をプロデュース

  • 野ブタ。をプロデュース
  • 白岩 玄・著
  • 河出書房新社・発行
  • 2004年11月・発行

今年これで小説を読むのは2冊目になります。

「野ブタ。をプロデュース」 がその書名で、11月に出たばかりです。
今年の文藝賞受賞作ということと、書名が気になったので買ってみました。1,000円という手軽な価格だったのも買った理由のひとつです。

内容は、高校生の物語で、他愛のない話ですが、それなりに面白かったので2日間で読んでしまいました。

結末の2ページに、ちょっとギクリとしました。この2ページがあるために、この作品を印象づかせているような気がします。もし、この2ページがなかったら、1週間もすれば内容を忘れてしまいそうな、そんな軽い作品です。

文藝賞というか、雑誌「文藝」は学生時代にときどき買っては読んでいました。 新しい文学の香りが漂ってくるようで好きな雑誌でした。
それで、馴染みのある文藝賞受賞作ということで読んでみたのです。

文章のテンポ・リズムがいいし、適度に笑わせてくれます。
なんとなく30数年前の自分の高校時代のことも思い出させてくれたりしました。

若い人が読むには面白いかもしれません。

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2004.08.12

「がんばれ!女子サッカー」

おととい本屋で見つけたのが、岩波アクティブ新書の「がんばれ!女子サッカー」。おとといと昨日で一気に読んでしまいました。昨日の夜は、アテネ五輪の女子サッカー、日本vsスウェーデン戦でしたから、それまでに読んでおこうと思ったのです。

日本の女子サッカーをちゃんと見たのは、今年4月のアテネ五輪のアジア予選準決勝の日本vs北朝鮮戦が初めてでした。この試合には感動しました。月並みな言い方ですが、選手のひたむきさがテレビからビンビン伝わってきました。そしてこの試合で、日本代表の選手の名前を結構覚えました。澤・大谷・荒川・山本・川上・山郷など。私はスーパーサブの丸山の「切れ」が気に入りました。

そんな私のような女子サッカー観戦初心者向けの本が、この「がんばれ!女子サッカー」です。日本の女子サッカーの現状や歴史にとどまらず、世界の女子サッカーの状況もわかりやすく書かれています。この中の「世界のスター選手たち」に紹介されている選手の一人がスウェーデンのハンナ・ユングベリです。そのユングベリもメンバーのスウェーデンと戦い、勝ったのが昨日の夜の日本女子でした。

今日ゆっくりビデオでその試合を見たのですが、ユングベリに仕事をさせなかった日本のDF・MF、とくに川上と磯崎が「うまい」と思いました。

今夜は、男子がパラグアイとの初戦。こちらもテレビの前で気合いを入れて応援します。

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2004.07.13

なぎら健壱の「歌い屋たち」

なぎら健壱の「歌い屋たち」という本を読みました。(文藝春秋/2004年6月30日発行)

「自伝か、フィクションか!? 初の書き下ろし小説」
と帯にあるように、小説です。

主人公のフォークシンガー(なぎらや高田渡を想像させます)が、盛り場の流しのギター引きを回想するというストーリーで、1971年の春~夏のことや、流しのギター引きが戦争で疎開し、東京に戻ってきた1945年前後のことが多く描かれています。

私は2日間で一気に読んだのですが、なぎらのテンポのいい書きっぷりにひかれました。
そして内容もちょうど私の高校~大学時代とダブっていたり、中津川フォークジャンボリーのことが書かれていたりして、その頃の時代と日本の音楽(「アングラフォーク」やURCなど)を知っている身としては、すっと小説の中に入りこむことができました。

その頃の日本の「フォーク」は、盛り場の流しのギター引きが歌うような演歌・流行歌と相反するような立場で発生し、それらとは違った価値のあるものとして若者から支持を得ていました。
プロの作詞家や作曲家が作るのではなく、自作の歌を自分が歌うというスタイルが価値のあるもののように思われました。
でも、当たり前のことですが、「いいものはいいし、悪いものは悪い」のであって、歌の作り手がプロの作詞家や作曲者であるかどうかは別のことです。
ところが、この時代は、プロが作るものは「悪い」という風にとらえられていました。

そういう風潮に対して、盛り場で聞かれる流行歌でも「いいものはいい」と、素直に思う気持ちがちょっとでもあったら、また違っていたんじゃないのか、となぎらはこの小説の中で言いたかったような気がします。

「歌い屋」という言葉はこの小説でなぎらが初めて使ったと思いますが、フォークシンガーも流しのギター引きも含む、およそ「スター」や「アイドル」とは全く反対の存在でしょう。
そういう歌い屋の、風が吹けばすぐに飛ばされてしまいそうな、あやうく、もろい立場の人間を描いたものです。

「直木賞」とまではいかなくても、話題になってくれたらいいと思う、心に残る小説です。

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