書籍・雑誌

2013.01.24

「発達障害と向き合う」(幻冬社ルネッサンス新書)

●「発達障害と向き合う」 竹内吉和:著
(幻冬社ルネッサンス新書/2012年)

1月27日に介護福祉士の試験を受けます。
そのため、ラストスパートということで、帰宅後はひたすら問題集に取り組んでいます。

勉強をするということは、自分の知らなかったことや間違って理解していたことなどの知識が増えていくので、しんどいけれど楽しい営みです。

今回勉強していて、発達障害のことを自分はあまり知らなかったので、もう少し勉強してみようと図書館でたまたま見つけたのが、この本です。 読み始めると面白いので、引きずりこまれ、睡眠不足になってしまいました。

著者は教員で長い間、発達障害の子供たちやそのお母さんたちと関わってきました。その経験と理論(日本以外の研究成果も含めて)が平易に語られています。

発達障害は、自閉症、アスペルガー症候群などの広汎性発達障害(PDD)、学習障害(LD)、注意欠陥多動性障害(ADHD)などに分類されるそうですが、現実にはそれらの要素が重なりあっている子どもたちがほとんどだそうです。

著者は、人間がものを学ぶときに必要な力として

  1. 聞く力
  2. 話す力
  3. 読む力
  4. 書く力
  5. 計算する力
  6. 推論する力

の6つをあげています。

しかも、この順番が重要で、人間にとって生きていくために重要な力はこの順で大切だと述べています。

そのうちの1番目「聞く力」の重要性が強調されています。その「聞く力」とは「ほんの20~30秒覚えておく力」=「聴覚的短期記憶」のことで、この力が弱いとコミュニケーションや社会性につまずきが起こることになるというのが著者の主張のキモです。

「ほんの20~30秒覚えておく力」の例として、電話をする前に電話番号を覚えたり、暗算をしたりという場面のことが書かれています。

「犬が3匹公園にいました。もう2匹、公園に犬がやってきました。全部で犬は何匹でしょう?」という問題を暗算で行うとき、最初の3匹の3という数字を「ほんの20~30秒覚えておく」ことができなければ、この問題に答えることはできません。

ある程度大きくなってからは、忘れてはいけないことはメモを取るといった「書く力」を使って記憶の代替としますが、文字を覚える以前の子どもは、やはり超短期の記憶だけが頼りです。
「聴覚的」な情報が「視覚的」な情報より基礎的で重要である、ということです。

発達障害は、3歳ぐらいまでに表れるということで、主に子どもたちの世界の話だと思われますが、この本の最後には、大人の発達障害についても書かれています。
実は、私はこの部分を先に読みました。モンスターペアレント、DV(家庭内暴力)などがテーマとして書かれていたからです。
「発達障害者支援法」が施行されたのは2005年で、発達障害と思われる子どもたちに対する対応、働きかけ、取り組みは進みつつあるようですが、それより前の時期では発達障害のまま大人になった人たちがいて、社会性に難がある例もあるようです。そんな大人たちの例も書かれています。

以前は盲学校、聾学校、養護学校や特殊学級と言っていたものが2007年から特別支援学校(学級)になりました。これが単に名前の変更だけではなく、忍耐強く適切な働きかけを行う教育の場であってほしいと思います。
発達障害の子にはほめることが大事だとこの本には書かれていました。
私も、相手は高齢者ですが、同じ対人援助を業としている立場から、この本から長所を引き出す援助の大切さを気づかせてくれたような気がしています。

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2012.02.12

芥川賞受賞作「共喰い」・「道化師の蝶」を読む

今夜も約10kmをジョギング。1時間22分。

文芸春秋

今日は日曜日でしたが、日中は仕事をしていました。
ただ、そんなに忙しいわけではなかったので、仕事の合間に今年上半期の芥川賞(第146回)受賞作を2つとも読んでしまいました。(^_^;)
「文芸春秋」3月号には受賞作以外にも、選評や作者へのインタビューも載っていますので、それらも合わせて読みました。

●田中慎弥「共喰い」

受賞のときのインタビューがユニークで話題になった作者の作品です。

文章のテンポが良く、一気に読んでしまいました。
主人公は地方の17才の少年で、彼の父親はセックスの時、女を殴りつけるという性癖があり、自分もそうなっていく姿が描かれていきます。
物語の最後には父親は主人公の母親に殺されるのですが、性と暴力を題材にしながらも、その母親を含めて物語に出てくる女たちのしたたかな姿が印象に残りました。

●円城塔「道化師の蝶」

先の「共喰い」は映像がイメージできるのに、この作品はまったく視覚化できそうもない、不思議な小説でした。

「わたし」が何人も(3人?)出てくるのですが、どの「わたし」なのか読み進まないとわからない状態でした。
ただ、普通だったら読み進めていくうちにわけがわからなくなったら、もうその小説を読むことをやめてしまいますが、わからないなりに最後まで読みたくなりました。

「共喰い」は少年と父親が同じ女(2人)とセックスをするという筋書きなので「共喰い」という皮肉的なタイトルなのかなあ、と思いますが、「道化師の蝶」のほうはタイトルの意味が私には全くわかりませんでした。
だれが「道化師」なのか? どうして「道化師」なのか?
私の読解力の不足のせいかもしれません。

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2011.03.24

小説「「ボブ・ディラン・グレーテスト・ヒット第三集」

「新潮」

ボブ・ディラン・グレーテスト・ヒット第三集」というタイトルのCDは持っていますが、これは小説のタイトルです。
月刊「新潮」2011年4月号に載っています。

この小説を私は、3月12日に私の郷里である石川県七尾市へ向かう電車の中で読みました。
正確に言うと、その時間だけでは読み終えることができなかったので、実家で寝る前の布団の中で読み切りました。

なんとも不思議な感覚が残りました。(だから、翌日のマラソンの成績が悪かった、というわけではありませんし、寝不足というわけでもありません。)
2001年9月1日〜11日までの11日間に新宿の中古レコード店を舞台にした物語です。
2001年9月11日といえば、アメリカで9・11事件が起こった日で、この小説の最後にその事が出てきますが、直接には物語の展開とは関係がなさそうです。 でも、物語の背景には9・11事件のことが横たわっていそうな気がしました。

あらすじを書いても仕方がないので書きませんが、物語の中に出てくる「音」のことを書いてみたいと思います。

まず表題の「ボブ・ディラン・グレーテスト・ヒット第三集」ですが、これはアナログ盤でも出ていたようで、それが希少であるというこだわりがこの小説のキーワードになっています。アルバムの収録曲は全部で14曲で、すべてそれまでのボブ・ディランのアルバムに収められていたものばかりで、未発表曲とかバージョン違いとかはありません。
私が持っているのはCDで、アメリカ盤。いつ買ったのかは覚えていませんが、この小説を読まなかったら持っていたことも忘れてしまっていたかもしれません。

Bob Dylan
 CDのジャケット

小説の中で「花婿はいまも祭壇で待っている」と書かれているのが3曲目の"The Groom's Still Waiting At The Altar"。
元々は、1981年のアルバム"Shot Of Love"に入っている曲で、私はこのアルバムは日本盤で持っていますが、あんまり好きではないアルバムだったのでほとんど印象にありませんでした。それが、この小説のキーワードとして登場してきたので聞き直したら、なかなかいい感じで気に入りました。
ディランの同じくグレーテスト・ヒットの第2集に入っている"Watching The River Flow(川の流れを見つめて)"のようなディラン流のブルース曲です。

「ヨルダン川の西/ジブラルタルの岩山の東/ぼくは目撃する/舞台が燃え落ちて/新しい時代の幕が切っておとされるのを/ほら、花婿は今も祭壇で待ち続けているよ」(中川五郎/歌詞対訳)

ディランの曲以外に出てきた中で、ラフマニノフのピアノ協奏曲2番・3番というのが気になりました。
ラフマニノフというのはロシアの作曲家ですが、このピアノ協奏曲2番・3番がどんな曲だったか知りません。あるいは聞いたことがあるのに曲名や作曲者のことを知らないだけ、かもしれません。(私の場合、クラシックではよくあることです。いつも見ているのでなじみの花だけど、名前を知らないだけ、というのと同じような感じです。)

作者のことは私は全然知りませんでしたが、劇作家・演出家として活躍されているようで、面白いエッセイ・小説なども多く出版されているようです。
ちょっと気になる作者です。

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2008.08.17

村上春樹「走ることについて語るときに僕の語ること」


「走ることについて語るときに僕の語ること」

 最近、一気に読んだのがこの本です。

 作家、村上春樹がフルマラソンやトライアスロンのレースに参加しているということを、この本の書評で初めて知りました。
しかも、中途半端ではありません。 フルマラソンには20数回、トライアスロンも数回のレースを経験しているのですから、本格派です。

 その村上春樹が、2005年〜2006年にかけて、「走ること」について書いた文章を集めたのがこの本です。

 私も、村上春樹の足元にもおよびませんが、ランニングを続けているので、この本を読みながら、「そうだそうだ」とか「なるほどなあ」とか、ランニングの練習やレースでの気持ち、心のゆれなど書かれていることに共鳴したり、うなずいたりしました。
 作家という職業を持つ村上春樹にとっては、ランニングは長編小説を書くための体力を維持するのに必要な訓練だということも書かれていますが、なるほどと思いました。
長編小説を書くためには、長期に渡ってテンションを上げておく必要があり、そのための体力・気力がランニングをすることで培うのです。

  7月の終わり頃だったと思いますが、NHKで「サロマ湖100キロウルトラマラソン」に参加し、完走したご夫婦(50〜60才台)のドキュメンタリーを見ましたが、この本でも村上春樹がこのレースに1996年に参加したときにことが書かれています。
 フルマラソンの42kmを過ぎ、75kmを走っているあたりで、「何かがすうっと抜けた」と書かれています。
この「抜ける」という感覚について、

「まるで石壁を通り抜けるみたいに、あっちの方に身体が通過してしまった」

と表現しています。
この部分に、私は得体のしれない迫力というものを感じました。

 また、この本は、走ることだけではなく、村上春樹が作家として出発する前のころのことも書かれていて、そちらも興味深く読めました。
20代のころからジャズ・クラブのような店を経営して、無我夢中で働いていたことなど、客商売の大変さについて書かれていたりします。

店にはたくさんの客がやってくる。
その十人に一人が「なかなか良い店だな。気に入った。またこよう」と思ってくれればそれでいい。
十人のうちの一人がリピーターになってくれれば経営は成り立っていく。
逆に言えば、十人のうち九人に気に入ってもらえなくても、べつにかまわないわけだ。
(略)。
しかしその「一人」には確実に、とことん気に入ってもらう必要がある。

これが、彼の経営の方針だったようですが、この方針については、以下のブログで語られています。
私もサービス業ですから、同感といったところです。

● ほっと花屋「フィールド」のあれこれ

● af_blog

ほかにも、村上春樹の作家としての勉強法が、私が学習をするヒントになったりもしました。

 いずれにせよ、この本はどこからでも読めるし、繰り返して読みたくなる本だと思いました。
私は、この本を図書館で借りて読んだのですが、手元にいつも置いておきたい気分になりました。(古本屋で探そうと思っています)

 ランニングについては、毎日ほぼ10kmを走り続けている作家にはかないませんが、私もできるだけ走り続けていきたいと思っています。
この本を読むと、ランニング(ジョギング)がしたくなりますよ。

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2008.02.06

「グーグル化」知的生産革命

週刊ダイヤモンド

新聞広告で見て、面白そうだと思ったので買ったのがこの 週刊ダイヤモンド 2008年2月9日号

勝間和代という人の名前も新聞広告を見るまで知りませんでした。彼女の著書のうち「お金は銀行に預けるな」(光文社新書)は、本屋で見た記憶がありますが、手にしたことはありません。

「いまや時代の寵児」という勝間和代という人の言う「グーグル化」とは何だろう、というのが興味を持ったきっかけでした。
グーグルといえば、私も検索エンジンはグーグルを使っていますし(Yahooはめったに使いません)、グーグルノートブックは、一日に何度も開きます。
その意味で、私も少しですが「グーグル化」していますが、勝間和代さんに比べれば全然たいしたことはありません。(^_^;)

知的生産の方法については、昔からいろいろな方法が紹介されていますが、この勝間式も、またそのうちの一つということで、気に入ったところだけマネさせてもらおうと思います。
まずは、Gmailを使うことからかな・・・・?
いろいろなヒントがここに載っているような気がしました。

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2006.10.05

「少し変わった子あります」

少し変わった子あります

なんとも不思議な気分で、最後の文を読み終えました。

目次は以下のようです。

  1. 少し変わった子あります
  2. もう少し変わった子あります
  3. ほんの少し変わった子あります
  4. また少し変わった子あります
  5. さらに少し変わった子あります
  6. ただ少し変わった子あります
  7. あと少し変わった子あります
  8. 少し変わった子終わりました

以上8話の物語は、もともと「別冊文藝春秋」に連載されていたもののようです。その8連作がかたまりとなって一つの不思議な物語が作り上げられています。

この小説を読もうと思ったきっかけは、週刊現代の書評欄を読んだことでした。
そこには、大人のための童話と見出しが付いていました。

著者の森博嗣というのはどんな人なのだろうと、Wikipediaで調べてみました。

1957年生まれ。元名古屋大学助教授。工学博士。小説家。推理作家。すごい経歴です。


この物語の主人公は、50歳代の大学の教員。男性。
「変わった子」は、20歳代〜30歳代の女性。独身もいれば既婚者もいます。1話にひとりずつ登場します。


主人公は「変わった子」と料理屋で2人きりで食事をします。

昨日見た夢の話をする子や最後までウソを付きまくる子、哲学的な話をする子、ずっと無言の子、食事をする振る舞いに見とれてしまう子など8人の「変わった子」と食事をする中で主人公が、孤独や人の生きざまに思いをめぐらし自分を見つめ直す、という話です。

若い女性と個室で2人きりの食事、というシチュエーチョンで下世話なことを想像しても、そんな場面は出てきません。一度、ちょっとだけ手が触れるという場面があるだけです。
2人で食事をするのですが、実際にどんな料理がテーブルに並んでいるのかという描写はありません。それでも物語を読むのに飽きることはありません。


この料理屋には名前がありません。しかも、場所はそのつど変わります。
潰れた料亭だったり、旧家だったり、廃校になった学校の和室だったり、マンションの一室だったり、ビルの地下室だったり。

この店を利用するには、女将(30歳代)に電話します。すると迎えの車がやってきて、その日の場所に連れていってくれます。
そして料理屋でストック(英題が "Eccentric persons are in stock")してある「変わった子」のうちの一人といっしょに食事をする、というわけです。「変わった子」は、食事が済むとスッといなくなります。

もちろん食事代は二人分を払います。そして今夜の「変わった子」とはもう二度と会うことはありません。「指名」はできません。常に初対面なのです。
そんなお店の女将は、なんの特徴もない顔で本人に会わなければ、ふだんは思い出せないという、いわば黒子のような存在です。

主人公がこの店のことを知ったのは、後輩からで、その後輩がいつのころからか行方不明となり、何か手がかりがつかめるかと、その後輩に聞いていた番号を電話してからですが、いつのころからか後輩の消息よりも奇妙な料理屋そのものに魅かれて、何度も足を運びます。

そして、最後の8話目では・・・・。
(この「仕掛け」を書くということは、推理小説の犯人を書くようなものなので、書きません。)




この小説は、「純文学」?それとも「仕掛け」があるから「ミステリー」?

いや、ここは週刊現代の書評の文がやはり一番ぴったりしているようです。

幻想的で、しかし現実的でもある "大人のための童話" ---- なんだか矛盾しているみたいだが、そんなふうに評してみるほかない。

(ミステリー評論家/佳多山大地)

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2006.08.15

「持ち歩きペラペラ和歌山弁」








一か月ほど前にCDショップのレジ横で見かけて、即購入したのがこの本。翌日以降、うちの職場で大受けです。

古家学のラップにありますが、「ざぶとん」を「だぶとん」と言ったり、「冷蔵庫」を「れいどうこ」と発音する和歌山弁って変だけど、面白いなあと和歌山に3年前に引っ越してきた私は思っていました。

私は日常的に和歌山の高齢者と接する仕事をしていますが、最初の頃は、何?何?と疑問符が頭の中でいくつも点くような単語、言い回しが出てきて驚きの連続でした。
それでも、子どもが言葉を覚えていくのと同じように、なんとなく意味がわかるようになってきましたが、中にはこの本を読むまで、違う意味で理解していた言葉もありました。

例えば、「すいな」という和歌山弁ですが、私は「粋な」というどっちかというとプラスのイメージでとらえていましたが、実際は「変わった」というマイナスのイメージの言葉であるということも、この本をネタに和歌山生まれの人たちと話していて知りました。

ほかにも「ビーチサンダル」のことを和歌山では「水せった」と言うそうで、これも初めて知りましたが、逆に和歌山生まれの人たちは、日本中で「水せった」と言っていると思ってたみたいです。そんな、逆の発見もあるので、大受けなんです。

イラストのページが多いので、そこだけを見ていても楽しい。
余談ですが、私はこのイラストをTシャツにアイロンプリントして、この夏は着ています。(^_^;)
使用例がたくさん載っていて、ひとつひとつに感心しています。

この本の中味をスキャンしたものを見ていただければわかるように、著者のイラスト(漫画)が結構入っていて、和歌山弁で楽しく遊べます。

この本の出版社のサイトによると同じシリーズで大阪弁のものも出ているようなので、買ってみようと思っています。

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2006.03.14

最近読んだ数学の本2冊

一年のうちに、たまらなく数学の本が読みたくなる時期があります。
それで、一気に読んだのが下記の2冊。

いずれも啓蒙書で、数式はともかく、面倒な証明がそんなに出てこないので、寝る前のベッドの中で気楽に読めました。

数学の隠された能力

ひとことで言うと、幾何学の歴史書のようなものです。そこに西洋の美術史もからんできます。

美術的な美、そして20世紀以降の大量複製時代のデザインの奥にある幾何学の理論をわかりやすく、大量の図版もまじえて説いています。
著者は、武蔵野美大の講師ということですから、ひょっとして美大の教科書として使われているのかも、と思うくらい歴史的・系統的に幾何学と美術のかかわりがまとめられています。

黄金律についてふれられている部分を読んでいたときに、2次方程式の解の公式を忘れてしまっていた自分に気がつき、なさけなく思ったりもしました。(^_^;)

不満といえば、RGBとCMYKなど、現在パソコンで「色」を扱うのに必要な部分の説明がちょっとはしょっているような気がする点です。
そこいらはパソコンの本を読め、ということなのでしょうが。

プログラマの数学

「プログラマ」とタイトルは付いていますが、プログラムについてはほとんど出てこず、整数論に関する一般的な啓蒙書です。

「ゼロの発見」から整数、有理数、無理数の話。またベン図を使った論理式など、高校や大学の1年ぐらいに習った数学の内容を、プログラマの視点から易しく解説してあります。

いわば、高い山を一歩一歩自分の足で登るのではなく、ヘリコプターで山頂に着いて見る景色のような感じです。
そのこころは、途中で道に迷ったり、引き返したりせずに、見たいものがみれるということ、かな。

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2005.11.11

「国語教科書の思想」

国語教科書の思想

私は教育関係者でもなければ、子を持つ親でもないのですが、たまたま本屋で見かけたこの本が面白く、一気に読んでしまいました。
なかなか、刺激的な内容で、自分が子どものころに習った「国語」という科目のことなんかも思い出しながら読みました。

私は学校のころは、国語という教科が好きではありませんでした。なぜ好きでなかったのかをこの本で教えられたような気分です。すなわち、「国語は道徳だ」からです。
教科としての国語における正解とは、実は道徳的に正しいかどうかだ、というのが著者の主張で、なるほどそういわれればそうだったなあ、と思ったりしました。

それ以外にも、あまりにも配慮や想像力に欠ける設問などの具体例が述べられたりしています。
そして「自然に帰ろう」「友情」「豊かさ」などのテーマに隠されている道徳的な押し付けを批判するところは、読んでいてまるで謎解きのように爽快な気分にさせてくれます。

著者は、批判だけではなく、「国語」という教科を「リテラシー」と「文学」の2つに再編成すべきだと主張しています。
「リテラシー」というのは、例えば電気製品の取り扱い説明書を正しく読み取ったり、情報を得たりすることができる能力を養うもので、「文学」は自由に題材を読ませることで、自分の「読み」をきちんと記述できるような能力を育てるもの、というふうに分けています。だから「リテラシー」では正解と間違いがはっきりし、逆に「文学」では正解が複数存在するということになります。
こういう考え方は私も賛成します。

約200ページぐらいの本なので、はしょってあるところもあるので、わかりにくいところもあるのですが、機会があったら小・中学校の教科書に一度目を通してみたいものだと思ったりしました。(^_^;)

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2004.12.01

野ブタ。をプロデュース

  • 野ブタ。をプロデュース
  • 白岩 玄・著
  • 河出書房新社・発行
  • 2004年11月・発行

今年これで小説を読むのは2冊目になります。

「野ブタ。をプロデュース」 がその書名で、11月に出たばかりです。
今年の文藝賞受賞作ということと、書名が気になったので買ってみました。1,000円という手軽な価格だったのも買った理由のひとつです。

内容は、高校生の物語で、他愛のない話ですが、それなりに面白かったので2日間で読んでしまいました。

結末の2ページに、ちょっとギクリとしました。この2ページがあるために、この作品を印象づかせているような気がします。もし、この2ページがなかったら、1週間もすれば内容を忘れてしまいそうな、そんな軽い作品です。

文藝賞というか、雑誌「文藝」は学生時代にときどき買っては読んでいました。 新しい文学の香りが漂ってくるようで好きな雑誌でした。
それで、馴染みのある文藝賞受賞作ということで読んでみたのです。

文章のテンポ・リズムがいいし、適度に笑わせてくれます。
なんとなく30数年前の自分の高校時代のことも思い出させてくれたりしました。

若い人が読むには面白いかもしれません。

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